日本食を大切にしたい
最初に日本に来た宣教師フランシスコ・ザビエルは、日本人の食事の貧しさに驚き、教会への報告書に
「今後、質素な食事に耐えられる宣教師を選んで、日本に送り込んでほしい」と記している。
ところが、彼とは異なる発想で、旨い食事を振る舞うことで布教することを考えたのがポルトガル人宣教師ビレラだ。
ビレラは、1557年の復活祭の日に、豊後府内(大分市)で、400人余りの日本の信者に雌牛の肉を食べさせた。
当時の日本人は、僧侶の教えで奈良時代以来、肉食を断ってきたので、この時はじめて牛肉を食べたものが多く、
肉の旨さからキリスト教に関心をもち、肉食を禁じた仏教に反発したものもいたという。
ビレラの料理は、魚、豆腐、野菜を黄色く炊いたごはんにのせる郷土料理で、この豊後黄飯は今でも残っているようだ。
奈良時代に、日本は天皇中心の中央集権国家になり、唐の影響で、中国式の食事ではあるが、多様な料理を1品1品の量を少なめにして、きれいに盛り付けるようになった。
これで懐石料理に代表される、今日の日本料理の正式なもてなしの形ができ、飯、汁物・嘗物、貝物、生物、干物、菓子が必要とされた。
江川英龍は天保13年(1842)に伊豆にパン焼き窯をつくったが、ここからパン食が日本に普及しはじめた。
これは兵糧銭と呼ばれるパンで、真ん中に穴をあけてひもで腰に下げた。
水戸藩はパンのほかに、オランダ風のビスケットを、そして1855年には乾パンに近い兵糧銭をつくった。
薩摩藩は「蒸餅」という黒ゴマ入り堅パンをつくった。これは1〜2年たくわえても質がおちなかったという。
18世紀半ばには、てんぷらがつくられた。
南蛮焼きをもとにしたてんぷらは高級料理だったが、元気の出る高カロリー食品てんぷらは江戸中に広まった。
また、最初に握りずしをつくったのは深川の松ずしだとされる。日本食を大切にしたい。
株式会社食品研究社 社長 園田昭司