私が生まれた昭和2年は、日本国は大恐慌のまっただ中であった。80年たった今、また世界的な大恐慌に突入した。
昭和初期の日本は、日清戦争(現在の中国・当時の清国との戦争1894~95年)に勝利し、次いで日露戦争(帝政ロシヤとの戦争1904~05年)にも、日本海大海戦や陸軍による奉天大会戦の勝利によって、アメリカのルーズベルト大統領の斡旋で講和し、ポーツマス条約が成立した。勝ったと喜ぶより、危く助かったということか。
しかし、大正12年(1923年)9月1日の関東大震災は死者9万9千人、行方不明4万3千人、負傷者10万人を出し、被災世帯は69万に及んだと推定されている。そして昭和の大恐慌だ。
この後の日本は東北地方などの飢饉(ききん)もあって生活に困る人々を、日本はいわゆる満州事変のあと中国の東北三省に“建国”した満州国へ移民させた。大恐慌への対策であった、と私は考えている。第1次世界大戦(1914年)には日本は三国協商(英・アメリカ等)に加わり、三国同盟(ドイツ・イタリア等)と戦い、戦勝国となったが、第2次世界大戦では日本、ドイツ、イタリアは英国、アメリカ、中国、ロシア等の連合国と戦って敗戦、未だに日本にはアメリカの基地がある状態が63年も続いている。
北京で開催されたオリンピックには、世界の殆んどの国・地域から若人が集まって技と力を競う“平和の祭典”を演じたが、とても紛争が収まったとは言い切れない状況である。平和への希望と、世界恐慌の不安と、紛争の絶えない中で、地震国日本は防災対策の充実完備を進めている。地震は戦争と同じだ。
日本の国は、人口が減り、海外から看護師の助勢を得なければならないという、近来にはなかったことが実現することになったが、これからの日本をしっかりと築くための恐慌と地震への対策の完備を心掛けたいものだ。
食品研究社 社長 園田 昭司
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